− お稽古ごとから、プロのヴァイオリニストへ −
 
・ヴァイオリンをはじめたきっかけは?
4つ上の兄がピアノを習っていたので、それにつられて私もピアノを習いはじめました。私が3才の時でした。特に英才教育というほどのものではなく「お稽古ごと」のひとつとして。体操教室とかにも行ってましたし。6才になってからヴァイオリンも習いはじめました。毎日いろいろなお稽古で忙しい子供でした(笑)。
 
・なぜヴァイオリンだったの?
たまたま母の友人が遊びにきた時に、もう使わない子供用のヴァイオリンがあるからと、貸していただいたのがきっかけです。
 
・どんな風にレッスンを受けてたの?
ピアノを先に習っていましたので楽譜はある程度読めましたし、音感もよかったので、すぐにヴァイオリンも弾くことができました。基礎レッスンは受けましたが、おそらく音楽学校的なやり方ではなくその先生独自の方法で習いました。最初はまさかプロになろうとは思っていなかったので、楽しく弾ければそれでいいと思っていました。先生は「1日5分でいいから弾いてね」とおっしゃって下さったのが続けてこられた理由だと思います。
 
・自ら興味を持つようになったのはいつ?
小学校6年の時にソルフェージュを習うために仙川にある「桐朋学園付属 子供のための音楽教室」に入りました。音楽教室では実技もどなたか桐朋の先生に師事しなくてはいけないということで、江藤俊哉先生をご紹介していただき、師事することになりました。 
 
江藤先生に習って初めて音楽を真剣にやりたいと思いました。そして本格的に演奏に専念するために中高一貫校に通っていましたが、桐朋学園女子高等学校を受験することに決めました。
 
江藤俊哉(えとうとしや、1927年11月9日 - 2008年1月22日)は、東京都豊島区生まれのヴァイオリニスト。従四位旭日中綬章。日本における20世紀最高のヴァイオリニストとされており、活発な演奏活動や指導者としての業績は、現在でも「伝説」として語り継がれている。
 
・高校から音楽学校に?そんなに簡単に入れたの?
いえ。もの凄く大変でした。中学は進学校でしたのでお勉強も大変でした。ヴァイオリンを始めたのが遅かったことと、小学生のときにあまり基礎をやっていなかった為、毎日必死の思いで練習していました。実技試験はコンチェルトとエチュードだったのですが、課題のみをみっちりと練習する!という感じでした。受験当日は高熱を出し、中学で期末を受けてから受験しに行った記憶があります。
 
・大学まではそのまま順調だったの?
高校から大学の間は、学校の授業やオーケストラなどの実技とは別に、みんなコンクールを受けたり、講習会に行ったりします。私もそのようにしていました。早い段階から、人前で演奏させていただく機会もたくさんありました。

・CDデビューのきっかけはその頃だったの?
高校3年生の時に小さなコンクールを受けたのですが、その時に、あるプロデューサーの方に声をかけていただきました。もっと大きなコンクールに挑戦しようと思っていて、そのために場数を踏む目的で参加していたので最初はお断りしたのですが、私が弾いたバッハにいたく感動していただいたようで、その後何年も見守っていただいてました。
 
・断るなんてもったいないのでは?
高校、大学へ進んでようやく音楽の勉強に没頭できると思っていたところでしたので、そのタイミングでCDデビューとかは全く考えられませんでした。自分の中では大学を卒業して、海外留学をしてコンクールに挑戦して、凱旋コンサートを開いて...という先輩方の道を辿っていくと思っていました。
 
・でも、大学の時に結局デビューすることに決めた理由は?
まわりの先生方に相談したところ、「そういうお仕事の話がある時にやっておいてもいいのではないか」ということだったので、挑戦することにしました。というのも、毎年の国際コンクールで優勝した人や、学校を首席で卒業した人のすべてが大きな仕事につくとは限らないわけだし、チャンスがある時にやってもいいのではないかなと思ったのです。
 
・デビューはいつでしたか?
10年前、2002年の11月です。その時はまだ大学に在学中でした。翌年2月に銀座の王子ホールでデビュー・リサイタルを行いました。
 
・CDはチャートに入ったの?
確かクラシックのチャートの上位に入ったと記憶しています。
 
・その後はどんな活動をしてきましたか?
CDを出した後は、技術的な実力をつけたいと思い、イタリアなどに行ってコンクールを受けました。コンクールに出るということは、エチュード、ソナタ、コンチェルトなど一度に多くの曲をしっかりと勉強しないといけません。1次、2次、3次、本選と審査されていきます。そのような経験をすることがその時に必要と感じていました。
 
・帰国してからの活動は?
高嶋ちさ子さんの「12人のヴァイオリニスト」の初代メンバーにお誘いされ1年ほど活動をしました。そこでは大勢とともに演奏するアンサンブルの大切さと、魅せる演奏などを学びました。プロジェクトが大きいとそこに関わる方々が多いということも勉強になりました。ほかにもオムニバス盤への参加やデュオ・プロジェクト、セッション・シリーズなど、たくさんのCD録音の機会を頂戴しました。
 
・そして10周年を迎えて、初のオール・クラシック・アルバムをリリースしたわけですね?
数年前になって初めて全てクラシックのプログラムによるコンサートを開くことができました。それまではポピュラーな曲を必ず選曲に入れるような環境のもとで演奏してきていたので、本当にクラシックのみの演奏会というのは皆無でした。そのようなコンサートを経験して、「やっぱり私はクラシックが好きなんだ」と再認識しました。それ以来、全曲クラシックのCDを制作することを夢見ていました。
 

 
・私が最初に利世子さんにお会いしたのはかれこれ4年ほど前のことでしたが、デビュー10周年を前にしてちょうどいいタイミングで今回のCD制作のお話をさせていただきましたね。今回、初の全曲クラシックCDを作るにあたり、シューマンのソナタを選んだ理由はなんでしょうか?
いくつか候補はあったのですが、シューマンのソナタにしたのは、実はデビュー・コンサートの時に第1番を弾いていたので、いつか第2番にも挑戦したいとずっと思い続けてきたことが一番大きな理由だと思います。彼の音楽って綺麗な旋律とモヤモヤとした憂鬱な場面とが交互に出てきて、精神的な浮き沈みが手に取るようにわかります。ソナタのスコアを開いた時に、シューマンの人柄とか心の葛藤が音符の中から感じられました。生きるということのエネルギーを感じ、聴いている方にもそれが伝わるといいなと思いました。
 
・今回のレコーディングはどんな印象でしたか?
特に緊張はしませんでしたが、独特の緊張感はありましたね。コンサートの場合は、その曲の雰囲気や空気感を直接お客様に伝えることが出来るのですが、レコーディングの時は自分の演奏する空間がとても狭いので、曲の空気感を果たしてちゃんと伝えられるのか、という不安のような緊張がありました。
 
・社会活動への貢献もされていますよね?
はい。高校のときから養護学校で毎月コンサートをしていました。今は、環境問題に関わるCOP10などのイベントに参加したり、ジャパン・プラット・フォームやピース・ウィンズ・ジャパン、東京パイロットクラブなどに関わりながら演奏させていただいています。先日の10周年記念リサイタルでも、収益の一部を寄付させていただきました。
 
・では今後の目標などを教えて下さい。
ひとつひとつ確実なレパートリーを増やしていきたいなと思っています。
 
・今日はありがとうございました。
 
 
 
2012年10月10日 吉祥寺にて (聞き手:ビジョン・クラシック)
 
松井利世子 / シューマン ヴァイオリン・ソナタ 第1番 & 第2番
 
デビュー10周年!ソロとして初の全曲クラシック・アルバム!!
美しい旋律を紡ぎだすように音楽で愛を紡ぐ。
松井利世子が心からの愛と感謝をその音色に込めてお届けします。


 
<収録曲>
 
シューマン ヴァイオリン・ソナタ 第1番 イ短調 作品105
1. 第1楽章 アレグロ・アパッショナート
2. 第2楽章 アレグレット
3. 第3楽章 アレグロ・コン・ブリオ
 
シューマン ヴァイオリン・ソナタ 第2番 ニ短調 作品121
4. 第1楽章 ウン・ポコ・レント―アニマート
5. 第2楽章 モルト・アニマート
6. 第3楽章 ドルチェ・センプリーチェ
7. 第4楽章 アニマート
 
シューマン/ブラームス
8. スケルツォ 〜 F.A.Eソナタより
 
 
[演奏者]
 
松井利世子 : ヴァイオリン
東浦亜希子 : ピアノ
 
VCCM-8121
2,500円(税込み定価)
 



 
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